株式会社ヒューマナイズ 代表取締役 吉次 潤
公益財団法人日本生産性本部認定キャリアコンサルタント
1966年 福岡市生まれ
1985年 筑紫丘高等学校卒業
1989年 早稲田大学社会科学部卒業
1989年 株式会社日本マンパワー入社
1996年 有限会社ワイズプロジェクト設立
2007年 株式会社ヒューマナイズに社名を変更
【ご参考】 Twitter http://twitter.com/junyoshitsugu │ Facebook http://www.facebook.com/jun.yoshitsugu
就職活動をした頃はバブル期と言われる時代でした。同級生は続々と大手企業に就職を決める中、人材開発関連業界への就職活動をしていた私は、かなり浮いた存在だったような気がします。
運よく志望業界の企業に入社できたわけですが、入社後半年で一つの節目を迎えることになります。
父親の死です。父は、年商数億規模の塗装店を営んでいました。まだ40代半ばで、これからという時に、突然亡くなりました。当時母も40代半ば、弟は中学校に入学したばかりで、突然の出来事に家族はパニックになります。
いきなり様々な意思決定をしなければならない状況に陥りました。家族のこと・父の会社の従業員のこと、その関係者の方々から「これはどうする?あれはどうする?」と次々に投げかけられます。
未熟で知識も経験もありませんが、決めなければ何も進展しない状態です。逆に言えば、誰も答えを持っているわけないので、次から次に決めていきました。結局、父親の会社を解散し、日本マンパワー九州支社(福岡)に転勤させていただき、仕事を続けることにしました。それから三年後にまた転機が訪れます。お世話になっていた上司の異動に伴い、九州の責任者のポジションに就くことになりました。当時、試験的に若手を登用してみようということもあり、チャンスが巡ってきた訳です。拠点ごとに利益管理をしていたため、営業・マネジメント両面で大変勉強になりました。新卒入社4年目という早いタイミングで拠点管理を任せるケースは無かったため、周囲の反応は様々だったような気がします。
様々な反応を打ち消すためにも、走り続け、年間で1億以上の粗利を作っていました。ただ、頑張りすぎたためか一ヶ月以上入院することになります。入院する時には、「自分がいなければ…」と思い込んでいましたが、いざ入院してみると、普通に回っているのを見て、少し寂しかったような気もします(当たり前ですが)。
同時にこの入院で、少し落ち着いて自分のことを考える時間ができました。元々、漠然と30歳ぐらいになったら独立したいと考えていましたので、29歳で独立・創業することにしました。
1996年、ワイズプロジェクト設立。
幸いなことに最初は、前職の仕事を手伝うことも多く、また丁度やインターネットが普及し始める時期でもあり、中小企業向けにPCの導入支援なども少しずつ手がけていました。
しかし、徐々に前職の仕事を手伝うことができなくなり、さらにお手伝いしていた中小企業の経営者の方が亡くなるという出来事がありました。残された遺族の方々が意気消沈される中、追い討ちをかけるように周囲の態度が変わっていくのを見て、上手く表現できませんが怖くなっていました。
不思議なもので、自分の親が亡くなった時は身内の事なので何かしら手が尽くせますが、他人の事は当たり前ですが何もできない、ただ無力感に打ちのめされていました。
何かをしなくてはという意思はあるものの、心身ともに動き出せない、そんな日々が続いていました。
そんな中、私に声をかけていただいたのが、スピリッツ社の竹内社長です。1999年、丁度創業されるタイミングで出会い、以後7年間お手伝いすることになります。日当たりの悪い?福岡・舞鶴のオフィスから東京・青山に本社を構えられるまで、社内に入って業務委託を受ける形でお手伝いさせていただきました。
また、同じぐらいのタイミングで日本生産性本部様が全国で中高年齢ホワイカラーの就職支援を行うキャリア交流プラザ事業を開始されることになり、「福岡キャリア交流プラザ」の指導講師として仕事をすることになりました。
スピリッツ社は、ユニクロ社の採用支援を手がけたこともあり、順調に業容を拡大し、やがて東京に本社を移していきます。また「福岡キャリア交流プラザ」では、公共事業としては異例の?長期間(7年間)お手伝いさせていただき、のべ2000名以上のメンタル面も含めた就職支援の指導機会をいただくことができました。
2つの大きな仕事をいただく中、プライベートではまた転機が訪れます。母が癌に冒されていました。60歳の誕生日に検査入院し、病院から呼び出され「完治しない、命はもって3ヶ月」と言われた場面を今でも覚えています。そこからまた葛藤の日々が続きます…その半年後に母は永眠しました。
スピリッツ社も順調に業務を拡大し、本社を東京に移転し、従業員も徐々に増えていきました。同時に40代を迎えこれからを考える時間が増えました。
スピリッツ社と同じような創業期の企業や経営者・将来その候補となる方々のお手伝いをしたい、何よりもこの福岡・九州という場所にこだわりを持って取り組みたいという思いが強くなり、新たな枠組みを作ることを決断しました。2007年、ワイズプロジェクトを社名変更しヒューマナイズへ。併せてスピリッツ社の事業の一部を引き継ぐ形で新たなスタートを切ることになりました。
最近の楽しみは、創業前から知っている経営者の方々が増えてきたこと、また経営者だけでなく企業で着々と経験を積み、そこでリーダーシップを発揮する方が増えてきたことです。そういう方々から、「次はこんな事業を手がけます」「今度こんなことをやることになりました」そういうお知らせをいただくことが、何よりの楽しみであり、私の元気の素(もと)です。
ヒューマナイズがスタートして三年。まだ何もできていません。これからと言いながら、父が亡くなった年齢を考えるとそんなに時間が残っているとも思えません。一つでも多く、地域に貢献できる「人づくり」「組織づくり」「事業づくり」に関わりたい
〜これからのヒューマナイズにご期待ください。
【2010年 3月 株式会社ヒューマナイズ 代表取締役 吉次 潤】